会長のつぶやきメモ

Memo pad of the chairman

2020/01/18

みざる 聞かざる いわざる

私はこう見えて厳格な部分は極めて細かい視野で見る癖がついている。しかしその他のことはビックリするくらいおおざっぱでもある(→若干AB型)。
特に医療の面と教育さらに細かく言えば人間どおしの風通し(ちまたでは ほうれんそう という)についてはかなり厳しくみている。

医療は身体を見るのではなく「人間学」なのだ。ほかの職業より生死と向き合うのでぎりぎりの状態の人間の心や動きを実に様々見る事が出来る。
こうして患者さんに教わるのだ。みないように、きかないようにすることでうまく回る事もある。それを人間は知ろうとする。なぜか?
それは邪な感情が支配しているときに限ってそのような「知る」ことをしようとする。多くの本や生活の中で「聴く力の重要性」「話すより聴く力」など。
実は聴く力は大切とされている。私も同意見である。まさしく聴く力は大切であります。一方、聴かなくていいこともあるのではないか? 

職員がどうこうした。職員がこんなことしている。別に知らなくてもいい事があるようにも思う。なのに時に耳に入ってくる。
見なくてもいいこともいっぱいある気がする。経営者としては知りたくない事が結構あるもんだ。
上の立場に立つとこういった判別が難しい…どんな時に知ればいいのか?
今の思う基準はまずは人間関係でも「できる限り円滑にまわるために知るべきこと」だと思う。

1. 仲間が苦しんでいるとき 2.そしてその対策に迷っているとき

など特に個人的な問題でなく多くの人に影響を与える事は知っておくべきなのではないか?
そんな風に思っています。 最終的にいいたいことは「みんな、知ろうとするから、逆に円滑でなくなる事が多い」ってことでしょうか?

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